積立投資が軌道に乗った頃、私は奇妙な状態に陥っていました。
資産は順調に増えている。家計簿の数字もきれいに積み上がっている。それなのに、暮らしは始める前より、窮屈になっていたのです。
気づくのに、半年かかりました。
「これを投資に回したら、いくらになる?」
積立を始めて数年、資産が目に見えて増え始めた時期のことです。
複利の力を実感し、長期シミュレーションのサイトを何度も開いて、「今日使わなかった1万円が、30年後にいくらになるか」を眺めていました。そうしているうちに、頭の中に、こんな回路ができあがっていったのです。
これを投資に回したら、30年後には4万円になる。
つまりこのセーターは、1万円じゃなくて、4万円だ。
コンビニでお茶を買う時も、ランチを外食にする時も、服を見る時も、未来の価値で値段を計算してしまう。そして、そのたびに「いや、やめておこう」という結論になる。気づけば、買うと決めたものですらレジの前で手が止まるようになっていました。
お金を持っているのに、何ひとつ買えない。貯めることがうまくなるほど、使うことが下手になっていく。そんな時期でした。
手段が、目的に変わっていた
原因ははっきりしています。私は積立投資の位置づけを、見失っていたのです。
本来、投資は目的ではなく、手段のはずでした。今日を安心して過ごし、未来を少しだけ明るく照らすための、道具のひとつ。それ以上でも、それ以下でもない。
でも、いつの間にか私の中で、投資そのものが目的になっていました。
- 家計を見直すのは、投資に回す額を増やすため
- 出費を減らすのは、投資に回す額を増やすため
- 仕事を頑張るのは、投資に回す額を増やすため
すべての選択が、「投資額の最大化」という一点に吸い寄せられていました。家計管理の記事で「見えていない怖さ」を書きましたが、これはその逆のパターンです。見えすぎて、数字にしか目が行かなくなる状態です。
数字が増えても、人生は豊かにならない
今という時間は、たぶん一度しかありません。
同じセーターでも、今着るのと、数十年後に着るのでは、意味が違います。同じ旅行でも、今行くのと、体力が衰えてから行くのでは、見える景色が違う。時間には、後から取り戻せない価値があります。
それなのに、私は30年後の4万円のために、今のセーターを諦めていたのです。
数字としては、どちらを選んでも人生は成立します。でも、今の自分の暮らしをすり減らして未来の通帳を厚くするというのは、よく考えるとかなり奇妙な選択です。未来の私が本当に欲しかったのは、大きくなった資産残高より、今をちゃんと生きた記憶のほうだったかもしれません。
貯める"ために"、使う
それからは、意識的に使う習慣を取り戻すことにしました。
気に入った服を買う。行きたかった店に行く。友達との飲みに躊躇しない。もらった給料のうち、ある程度は"今を生きるため"に使い切る。これは私にとって練習が必要なことでした。
今でも時々、「これを投資に回したら〜」の回路が戻ってくることがあります。その時は、こう思い直すようにしています。
貯めることと使うことは、対立しない。
どちらも、"ちゃんと生きる"ための道具だ。
積立投資は、続けています。でも、それは暮らしを犠牲にしてまで増やす額を競うためではなく、暮らしを安心して続けるためです。手段と目的をはき違えないこと。これが、5年経って一番気をつけるようになったことです。
このカテゴリについて
このブログで「ちゃんとお金を使う」というカテゴリを立てたのは、この経験があったからです。
資産形成の話をしていると、どうしても「いかに貯めるか」「いかに増やすか」に寄っていきます。でも、使えない人間には、そもそも貯める意味がありません。
だから私は、このブログで"使うこと"についても、貯めることと同じ熱量で書いていきます。それが、資産形成についての、私なりの誠実さだと思うからです。